松本道弘先生がよくディベートの必要性を
お話されているのだけれど、
『カッコーの巣の上で』
(原題: One Flew Over the Cuckoo’s Nest)
を松本道弘先生とエバンス愛さんが主催する
オンラインアカデミアのリアル会映画道場で観て、
英雄とは何か、主人公マクマーフィーは英雄か?
と言う題でディベートした時に、
私のディベートの価値観が変わった。
●そもそも主人公マクマーフィーはどういう人間か?
※ネタバレあり
刑務所から逃れるために、
精神がおかしい振りをして精神病院に入院してきた。
破天荒な性格から、精神病院の掟に反抗したり、自由気まま。
でも、彼の姿に入院していた患者たちは影響されていく。
彼がやっていること自体は、
病院をみんなで抜け出してボートを盗んで釣りに行ったり、
看護師さんのセラピーを妨害したり(病院側の視点で見れば)、
女友達を連れ込んで乱痴気騒ぎしたり、
とヤバイ奴。
でも、彼の姿を見て、
自分が思っていることを伝えようとしたり、
看護師の言うことばかりを聞いていた患者たちにも変化が現れる。
最終的には、病院でとある事件が起きて、
彼自身はロボトミーを受けさせられて、
まともに会話もできない状態に。
でも、ある1人の患者は、
彼の姿からある意味勇気をもらい続けていて、
1人病院の窓を破り、精神病院を脱走する。
(※この時、マクマーフィーのことを殺す)
●マクマーフィーは英雄か?
映画道場では、自分の意見に関係なく、
Yes側とNo側に分かれる。
その時は6人1グループの2チームに分かれた。
この時、私はマクマーフィーは英雄だと言うYes側の立場だった。
マクマーフィーを英雄だと言うために、
・自分側の主張をまとめ、
・相手への反論を考える
・自分の中でのエピソードを交えて伝える、
必要がある。
この時に一番大事だなと思ったのが、
自分たちの中で英雄の定義をすること。
どんな人のことを人は英雄と呼ぶのか?
今回の場合、勝負だから、
どんな定義であれば相手側に負けないか?
と言う視点でも考えた。
●ディベートは相手との共同作業
ディベートと聞くと、嫌だなと思う人も多い気がする。
私もできるようになりたい、
と思う一方で何かしんどいなぁとか
過去の嫌なイメージとかが思い出されてくる…。
でもそれは本当の意味でのディベートではないからだと思う。
彼は英雄か、英雄ではないか、
と言った議論は、
ある意味不毛な議論にしかならなさそうな、
喧嘩にしかならなさそうな気がする。
後味が悪くなるくらいならやらないどこう…
みたいな感情になる。
でも、その時、
ある意味ディベートを
強制的にやらないといけなくなって思ったのは、
個人的な感情としては
マクマーフィーを英雄だとは思いたくないけど、
(Yes側もNo側も思ってたと思う笑)
Yes側が提示した
英雄=相手を感化できる人
と言う定義を元にした視点は、
自分がYes側であったことに関係なく、
面白いなぁと思った。
Yes側No側は、お互いに、
反対する主張を言い続けないといけなかったけど、
一緒にディベートの時間を共有したことで、
自分が普段考える中にはなかった価値観を
作り上げた同士のような気分になれた。
実際、私はその後、
No側の人とご飯を食べに行って盛り上がった。
対立する2つの主張を話し合うことで、
アウフヘーベンするような、
新たな視点を提供できるような、
そう言う状態にお互い協力して持っていく作業が、
本当の意味でのディベートなんだぁと
私はその時の映画道場で学んだ。
自分もまだまだ自分の主張のごり押しをしがちなのだけど(反省)
映画道場にも参加できるオンラインアカデミアに
興味が湧いた方はこちら。
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